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2024.12.17「荻外荘」が紡ぐ歴史と文化

東京都内、荻窪の地にある「荻外荘(てきがいそう)」。過去に政治の転換点となる重要な会議も多数行われたこの建物が、約10年にわたる復原整備を経て、2024年12月9日(月)から一般観覧開始されました。

画像提供:杉並区

本記事では、政治的に重要な場であっただけではなく、文化的にも評価が高いこの「荻外荘」についてご案内すると共に、復元に際して龍村美術織物が関わらせて頂いた部分についてご紹介致します。

歴史の目撃者としての「荻外荘」

「荻外荘」は、大正天皇の侍医頭(じいのかみ)を務めた医師・入澤達吉氏が、昭和2年(1927年)に別邸として建てたのがその始まりになります。昭和12年(1937年)からは、この別邸と周囲の環境を気に入った当時の内閣総理大臣の近衞文麿氏が譲り受ける形で住み始め、この時から「荻外荘」と呼ばれるようになります。

画像提供:株式会社三越伊勢丹プロパティ・デザイン

元々は心身の休養のために「荻外荘」で暮らすことに決めた近衞文麿氏でしたが、次第に、国家の重要な会談の場として使用されるようになります。昭和15年(1940年)には第二次世界大戦に関わる重大な政策決定をした「荻窪会談」が開かれるなど、歴史の転換点となる舞台でもあったことが記録として残されています。

「荻外荘」の持つ価値背景

荻窪の空気清涼な場所に育つ、アカマツのある土地に建てられた「荻外荘」。庭にカエデもあったことから、漢詩にも造詣の深かった建築主の入澤達吉氏からは、建築当初「楓荻荘(ふうてきそう)」という名前が付けられています。

画像提供:杉並区

建物の設計者は日本を代表する建築家・伊東忠太氏で、日本における建築学、とりわけ建築史学の開拓をおこなった人物として知られています。伊東忠太氏の他の設計としては、築地本願寺や平安神宮などが有名です。その名設計をベースに、近衞家による小規模な改修が繰り返し行われ残されてきた建物は、歴史的、文化的価値の高い建造物と言えます。

「荻外荘」の復元と龍村美術織物

このような背景をもった「荻外荘」ですが、家屋を受け継いだ近衞文麿氏の次男で、元東京大学教授の通隆氏が平成24年(2012年)に亡くなると、地域で保全の機運が高まります。その後、地域から寄せられた要望を踏まえ杉並区は、平成26年(2014年)に建物部分を含む敷地を購入します。更に、平成28年(2016年)には、日本の針路を左右するような会談が数多く行われた場所として国の史跡に指定され、「荻外荘」の復元へ向けた動きが加速していきます。

画像提供:杉並区

「荻外荘復原・整備プロジェクト」と銘打たれたこの事業では、近衞文麿居住当時の姿に復原整備する取り組みとして、移築されていた客間の再移築や、家具や調度品などの復元も職人や専門家の手で行われました。龍村美術織物では調度品の一つであるテーブルクロスの復元を手掛けさせて頂きました。

画像提供:株式会社三越伊勢丹プロパティ・デザイン

数々の織物を製作してきた経験を踏まえ、当時の色合いや風合いを最大限に復元しました。織物特有の質感や、室内との調和による雰囲気づくりに寄与している部分など、実際にご覧頂いた際には様々な部分に注目して頂ければ幸いです。

政治の大きな転換点となった舞台である「荻外荘」。復元を経てご覧頂けるようになった建物の各所で、その歴史を肌で感じて頂けます。貴重な歴史的空間を存分にお楽しみ下さい。