その後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)校長・正木直彦や洋画家・黒田清輝らによって設立された「織寳会」に委嘱され、名物裂の研究に着手した平藏は70種もの宝物を復元。
戦後はアメリカ十数都市で巡回展を行い、日本の美術織物の普及に貢献しました。また、クリスチャン・ディオールをはじめとする海外有名デザイナーの依頼で生地を制作するなど、活躍のフィールドは世界へと広がっていました。
昭和31(1956)年、平藏80歳にして、日本芸術院恩賜賞を受賞。染織工芸界の新たな可能性を切り開いた数々の業績に対し与えられた栄誉でした。しかし、常に自身の織物研究の成果を「大草原の中の草一本を掴んだだけだ」と語り、受賞よりも「織物の行く末」に想いを馳せていたようです。
昭和37(1962)年没、享年86歳。
伝統的な西陣にあって、常に斬新な発想と革新的な技法の習得により新境地を切り開いてきた龍村平藏。彼が残した「温故知新を織る」という言葉からは、生涯をかけて取り組んだ「織の美」にかける純粋なまでの熱き想いを感じ取ることができます。初代が残した龍村美術織物の精神は今もなお、当社に脈々と受け継がれているのです。